EV放浪記

新井 康祐

新潟県の3番目の都市、上越市に小生が生まれたのは昭和33年になります。昔の方は、直江津・高田と言った方がわかりやすいかもしれません。父はバッテリーを商売にする技術者でした。
母は、技術者の父ができない経理等をしていました。家内工業的だったと思います。
いつ頃のことでしょうか。ダイハツハイゼットEVが当社に来ました。驚きました。
電気だけで動く自動車です。昭和の時代ですから、上越初のEV車になりました。充電器は、据え置きの小型充電器で毎日夕方にセットして朝には乗れるようになっていました。
すごい車が来たもんだ。いろいろな人に自慢をしました。しかし、自慢した相手からは、冷ややかな目線をいただくことになりました。
その当時は、エンジンが絶対的主流でした。悔しさを通り越して情けない思いをいたしました。残念でした。
それから、小生も子供がいるくらいまで成長しました。
日本青年会議所自動車部会に入会して活動をしておりましたが、たしか日本青年会議所自動車部会5周年の時に日本EVクラブ舘内端さんの講演会を聞き、胸が熱くなり、もっともっとEV車について勉強しようと思ったのを記憶しています。
その時点では、父母も他界し、費用もない中、どのようにすればいいか考えておりました。結論は出ませんでした。
その後、日本EVクラブに入り、日本EVクラブ主催の講演会に参加しました。小学生の息子と筑波のサーキットコースを見に行ったりしました。EVのことを考えているときは至福の時でした。日本EVクラブの皆さんと懇意にさせていただき感謝しています。
社屋を新築した時には、日本EVクラブ主催の全国充電の旅で充電の協力をさせていただきました。
その数年後に新潟県自動車電装品整備商工組合理事長を受けることになりました。先輩として尊敬している方より「あなたは偉くなったのではない。あなたの立場上、組合員のために働かなければならない」。その言葉を胸に、これからは組合員の模範にならなければと思いました。
そんな時に、コロナ禍の事業再構築補助金申請に挑戦しないかと、お声かけいただいたのです。父の成し遂げられなかったEV車の普及、そして充電ステーション設置を目指して動き出すことにしました。

充電器の課金方法については、カードではなくコインで換金する方式にしようと、コイン換金装置を作製してもらえる会社を1年かけて探しました。交渉には1年かかりました。
本来ならば先方の会社に行って交渉するのが筋ですが、コロナ禍で行動制限があり、思うようにならない現実がありました。
当初、急速充電器の設置を考えました。しかし、充電器メーカーが撤退していったため考えを変えて、6kWで挑戦しようと考えました。
100円硬貨1枚で1時間の充電は、出血大サービスですが、次回の電力会社の値上げ時に100円30分に変更する予定です。
新潟県自動車電装品整備商工組合での講習会時には日本EVクラブの皆様にご講演いただきました。加えて、EVの試乗会や電気カートの試乗体験もでき、組合員も感激しておりました。
この会に参加された、ガラス組合さんからも講演の申し込みがあったということもお聞きしました。
また、先日は、日野自動車の協力会社である澤藤電機さんの会合がありました。
澤藤電機さんは、日野自動車のスタータ・オルタネータを制作している会社です。その会社から、10年後は商用トラックも電動化になります、と明言されました。いよいよEVの時代が到来します。
亡き父が聞けば…。
バッテリーを生業としてきた当社としては、自動車の電動化は長年の夢が叶った思いです。
皆さんも時間があれば、充電にいらしてください。お待ちしております。

65歳になる若造の放浪記です。

●『日本EVクラブ会報 2022』 トップページに戻る