いつか来た道?

岡部 匡伸

あるアジアの小さな国の自動車の昔話です。

1950年代、大型乗用車がハイウェイを縦横無尽に走っていたアメリカに、ある小さな国が無謀にも小型乗用車を輸出しようとしました。その国の道路はアメリカ人に「道路予定地しかない」といわれるほどひどかったそうです。一級国道で学生ラリーを開いたら、とんでもなく過酷な「オフロードラリー」になって、貧弱な国産車は次々にリタイヤ、優勝したのはジープだったとか。そんな「酷道」を過積載で一晩中飛ばすため、トラックはとにかく丈夫だったそうです。

さて、アメリカに上陸した小型車はどうなったか。物珍しさで少し売れたものの、まったくスピードが出ず、ハイウェイをまっすぐに走れずにあっという間に撤退。そこで商品を、デザインや性能にうるさいことを言われず、とりあえず丈夫であればなんとかなった小型トラックや四駆に切り替えて、為替レートによる安さを武器に少しずつアメリカ市場に入っていきました。

1960年代に入り、その国でも舗装道路が増えて高速も開通するようになると、車も良くなっていきました。その小型車はアメリカでもセカンドカー、サードカーとして売れるようになってきました。それでもアメリカのメーカーは小型車を相手にせず、5リッターのV8エンジンを積んだ大型車が大衆車という、今から見れば不思議な市場に安住していました。

1970年代前半、戦争で突然原油の値段が2倍になるという騒ぎになり、華やかな大型車は急に売れなくなり、安くて燃費の良いその国の小型車が人気になりました。その時、アメリカのメーカーは小型車を設計することも、安く作ることもできずに、その国の小型車に自分のエンブレムをつけて売ることになりました。

さて、現代の日本では宅配の配達に見慣れない中国製EVが使われるようになっています。ドライバーのお兄さんに「電気自動車ってどう?」と聞くと、「まあ、あんまり良くないね」なんて言っていましたが、数年で使い捨てる商用車なら無名の中国製でも安ければ問題ないのでしょう。今は中国製を相手にせずにガソリン車にこだわる日本のメーカーですが、そのうち、何年後かわかりませんが、ガソリンが10倍になるとかしてEVにしなければとなった時に、ガソリン車しか作れないメーカーは手ごろな値段のEVの設計も製造もできなくて中国製のEVにエンブレムを付けることになるでしょう。

1960年代以前の巨大なアメリカ車は本当に魅力的です。世界がデザインのトレンドをまねしたアメリカ自動車業界の人たちも、まさかあっという間にビッグ3が斜陽になるとは思わなかったでしょう。私は1986年にエレクトロニクス業界に入り、世界最高の最先端の産業、「電子立国日本」だったはずの業界が、あっという間に輸入品ばかりになり、最先端の製品を作れなくなっていくようになるのを見てきました。私にとっては本当に「いつか来た道」なのです。自動車ではそうならないことを願っています。

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