温暖化は私です

日本EVクラブ代表理事 舘内 端

2013年の秋にEVスーパーセブンで日本を1周しました。「急速充電器の数が少ないからEVは使い物にならない」というネガティブキャンペーンに腹が立って、「だったら急速充電だけで日本を1周してやろう」という少々よこしまな考えからでした。

この年の9月に経済産業省下の中庭を出発し、鹿児島から熊本に向かっていた時のことでした。「こんなこともあるんだ」と、妙に感心したことが起きたのです。それは日本の二大公害である水俣病と足尾鉱毒事件とを、EVスーパーセブンと私の友人の星野富弘が結び付けていたということなのです。

片や九州の熊本にある「星野富弘美術館」と、片や群馬・栃木の県境にある「富弘美術館」の2つの美術館が、なんと1000kmもの時空を超えて結びついたのです。ふたつの美術館を結んでいたのは、傷ついた人たちへの愛でした。

<水俣港から芦北町へ>

EVスーパーセブンで水俣港から国道3号線を走って芦北町へ向かいました。すでに水俣の海は彼方に去り、峠をいくつか越え、やがて湯浦川沿いの小集落に差し掛かりました。湯浦公園の脇を過ぎたあたりで道の左脇に「星野富弘美術館」の看板を見つけたのです。

突然の訪問を快く迎えてくださった当時の木村館長と。

「星野富弘美術館」といってもご存じないかもしれませんが、群馬県みどり市の山中にある「富弘美術館」の別館です。別館には訪れたことはなく、芦北町にあることも知りませんでした。

私の友人でもある星野富弘は、赴任した中学の体操クラブでの模範演技中に頚椎を骨折、首から下がすべて麻痺してしまいました。しかし、生来の負けず嫌いとインカレにも出場したことのある体操で鍛えた肉体で、口に絵筆をくわえて絵と詩をキャンバスに描き、現天皇陛下と皇后陛下をはじめ、多くの人を勇気づけてきました。その彼の作品を集めたのがみどり市の「富弘美術館」です。

旅の途中の芦北町で、まさか別館に出会うとは…。運命のいたずらに驚きました。

というのも、このあと述べるように「富弘美術館」と「星野富弘美術館」とは、足尾鉱毒事件と水俣病という日本の二つの大きな公害が荒れ狂った地にあるからです。

<地球温暖化の責任者を出せ>

ここから本題に入ります。地球温暖化=気候変動はすでに大きな被害を出しています。これからますます猛威を振るうと考えられています。とくに小さな島国に住む人たちや、恵まれない少数民族の人たちなど、弱者が被害者になるといわれています。

では、地球温暖化=気候変動の責任者は誰? 企業は?どのような人たちが責任を負うべきなのでしょうか。

富弘美術館と星野富弘美術館は、そうしたことを考える上でのヒントでもあるのです。

<富弘美術館と足尾公害>

富弘美術館は、渡良瀬川の切り立った渓谷に建てられています。渡良瀬川は、やがて埼玉県で利根川に合流する延長約100キロメートルの川です。

渡良瀬川の源流には足尾銅山があり、銅の精錬を行う工場がありました。足尾銅山と精錬工場が生み出した銅が、明治維新以降の近代化・富国強兵策の中で果たした役割には語り尽くせないものがあります。まさに司馬遼太郎の「坂の上の雲」です。

しかし、ひどい公害を生みました。銅山と精錬工場から排出された高濃度の硫化物や重金属による渡良瀬川と利根川の汚染、汚染物質を吸収した稲、それを食べた人間の悲惨な健康被害と、さらに排煙中の硫黄酸化物(亜硫酸ガス)による足尾山系の森林被害です。これは日本の「公害」の原点であり、最初の公害といわれています。

私が高校生の頃(1960年代)は、まだ精錬工場は稼働していて、亜硫酸ガスが煙突から排出されていました。星野富弘と渡渉した渡良瀬川の源流の松木沢の木々は、その亜硫酸ガスで今でも枯れたままです。

松木沢に少しでも緑を取り戻すべく、多くのボランティアの手で植林が行われてきました。私もその一員として年1回ですが、植林に汗をかかせていただいています。

ちなみに市民による足尾の植林が始まったのは、日本EVクラブの設立2年後の1996年のことでした。足尾の緑を守る運動も、EVを普及することで自動車による環境被害を可能な限り削減しようという日本EVクラブの運動も、公害に反対するだけではなく、被害の回復と原因の根絶に向け、市民が立ち上げたものでした。時を同じくして起きたこれらの運動は、きっと後世に語り継がれることになると思います。

<芦北町の星野富弘美術館と水俣病>

さて、別館の「星野富弘美術館」は、芦北町にあります。芦北町は水俣病発祥の地、水俣の隣です。足尾と水俣。星野富弘の詩画は、日本の二つの公害発祥の地を結び、チッソ水俣の工場排水や足尾銅山の工場排ガスによって病に侵され、傷ついた二つの地域の人たちに生きる力を与え、そうした人々と家族から強く愛されています。

頚椎を骨折し、からだの自由を失った星野富弘は、からだの自由を失いましたが、だからこそ心は限りなく広く、自由です。そして弱者を思う気持ちはかえって強まっています。2大公害病でからだの自由を失い、耐えがたい苦痛を味わった人たちは、きっと富弘の詩画に心を癒されているのに違いありません。

<芦北町に生まれた緒方正人さん>

ところで、芦北町に生まれて水俣病に立ち向かった人に漁師の「緒方正人さん」がいます。同じく漁師だったお父さんが水俣病で狂死したこともあり、この公害による健康被害に対する補償と責任の追及に緒方さんは立ち上がりました。足尾鉱毒事件における被害者救済に立ち上がった田中正造氏に近い人物ともいえます。

緒方さんは1953年に芦北町の女島という小さな漁村に生まれました。水俣病という恐ろしい公害病が発症し始めた頃のことでした。水俣病の原因は(株)チッソの水俣工場の有機水銀を含む排水にありました。有機水銀を食べた魚介類から、それを食べた人間への食物連鎖の中で発症したのです。水俣の港に住む人たちを中心とした公害病でした。

父親を水俣病で亡くした緒方さんは、水俣病の原因究明と被害補償をめぐる裁判闘争の中で、加害者である(株)チッソとその社員たちも許そうと思ったのです。苦しく悲しく、腹の立つ闘争の中で、なぜ緒方さんは許したのでしょうか。

<大逆転 チッソは私だ>

(株)チッソの幹部たちへの抗議、裁判での経営者・社員との衝突、デモ行進での門衛との衝突。何度も繰り返しましたが、(株)チッソも行政も原因が工場排水にあることを認めませんでした。

こうした交渉や衝突を数百回も繰り返す中で、緒方さんは、目の前の(株)チッソの社員たちと自分が重なって見えてきたということです。緒方さんたち被害者(患者たち)たちは、(株)チッソとそれを許してきた行政から、「心からの詫びが、魂の詫びが欲しかった。魂の痛みを背負うという意味の責任の取り方をして欲しかった」といいます。

そして、痛みや苦しみや、家族を失った悲しさを、補償金という金銭や、一片の水俣病患者認定書などという紙切れ一枚にすり替えられてたまるかという怒りがこみ上げ、「人間として詫びろ」と声を上げました。そうした苦しい闘いの中で、魂の詫びができない彼らは、「(闘い続けて生活も仕事もがたがたになった)私たちよりも、ガラクタではないか」と気づきます。そして、「(魂とか精神的な意味では)救われなきゃならんのは向こう側ではないか」という思いに至ります。「(水俣病の)被害者のほうが、はるかに精神性があったというか、人間の魂をもっとった」「しかし、救われるべきは加害者だ」という大逆転が緒方さんに起きたのです。
(色文字は「チッソは私であった」緒方正人著より引用)

<近代システムの発見>

さらに緒方さんの“気づき”は続きます。人間として詫びろという緒方さんたちの要求に応えようとする(株)チッソの人たちもいて、そんな彼らにこそ、水俣病の重い問いかけが集中していってしまうという、なんともやりきれないことに気づいたのです。水俣病の重い問いは、被害者・患者側にはもちろん加害者たちにも及んでいたのでした。

では、水俣病の責任はどこにあるのでしょうか。

緒方さんは、水俣病を生んだのは“システム”にあると気づいたのです。そのシステムとは、化学工業であり、その発展・拡大を画策した政府であり、そうしなければ戦後の復興がなかった日本と日本を取り巻く世界の経済・産業の情勢というものです。こうした産業・経済の在り方を“近代システム”と呼んでも構わないでしょう。そして、このシステムは、緒方さんにも、(株)チッソの社員という個人には、とても抗えないものです。

世界的にいえば、近代化、その結果としての(化石燃料を使った)産業革命がシステムの本当の姿であり、日本でいえば欧米列強から日本を守るべく起こした明治維新がシステムの姿です。そして、さらにシステムの姿を追うと、そこに成長・拡大を本位とする資本主義が立ち現れてきます。

新型コロナに襲われた欧米では、資本主義の新たな修正の動きが現れています。地球温暖化=気候変動の責任は誰にあるのか。どうやらその答えも見えてきたようです。
(注)資本主義については、アニュアルレポート2019の『スペシャルメッセージ』をご参照ください。

<被害者緒方さんにも人間としての責任が…>

緒方さんは、(株)チッソの社員もまた上記の近代のシステムの犠牲者であり、そう考えれば彼らもまた救われなければならないことに気づきます。さらに、緒方さんは「私もまた近代システムの中にいる」ことに気づきます。水俣病を発生させてしまった近代システムの中にいるとすれば、緒方さんにも水俣病の責任があることになるのです。

(株)チッソには大きな重い責任があります。それは決して免れるわけではありません。緒方さんは(株)チッソの社員ではないので、水俣病の原因物質である有機水銀を有明の海に流したわけではありません。

しかし、上記の近代システムの中にいるということは、近代システムによって食い、住み、働き、子供を育てているわけで、「テレビとか車とかという近代的なもののなかにいる自分」は、近代システムの恩恵を受けているのです。近代システムを維持し、場合によっては、それを拡大し、存続に手を貸してもいるのです。

<近代システムという苦界 みな責任がある>

緒方さんは近代システムに生きる一人の人間として「自分にも責任」があると気づいたのです。このことは、現世界に生きる人たちには、みな責任があるということです。緒方さんは、その責任による「苦」は、現代世界=近代システムの中で生きる人間としての「人間苦」だといいます。

そして、水俣病で始まった闘いは闘争を超えて、人間としての自分を考えさせられることになり、水俣病の「苦」は、水俣病を超えて世界の人間がみな背負わなければならない「人間苦」として緒方さんの前に立ち現れたのです。そして、「チッソの人たちのことを愛おしく思う気持ちにさえなるんです」(緒方著書より)といいます。

<すべての地球人が責任者>

さて、地球温暖化=気候変動はどうでしょう。責任者は誰でしょうか。責任のある企業はどこでしょうか。苦しむのは誰でしょうか。
もうおわかりだと思いますが、いわば地球に住むすべての人たちの地球温暖化に対する責任は免れず、すべての企業もまた逃れられず、すべての地球人が責任者であり、すべての企業・産業もまた責任者なのです。

地球温暖化とそれによる気候変動の直接的な原因は、(人類が)二酸化炭素=CO2を大量に排出したことにあります。その結果として大きな災害が起こり、多くの人たち、とくに貧しい人たちが家を失い、家族を失い、傷ついています。しかし、程度の差こそあれ、かれらはみな被害者であり、また加害者でもあるのです。自分が加害者で、自分と家族が被害者だというのは、なんとも情けない、悲しい話です。

たとえば、石炭火力発電所は多くのCO2を排出して発電しています。直接的な地球温暖化の犯人であり、そこで働く人たちは加害者です。また、自動車メーカーは、工場の直接的なCO2排出量は少ないものの、自動車は生産され、ユーザーの手に渡ると、世界の20%近いCO2を排出します。自動車メーカーも私たちユーザーも、地球温暖化の犯人であり、加害者です。

<近代システムからの贈り物>

ですが、石炭火力発電所がCO2を出しながら発電したことでパンが焼け、夜も明るく暮らせ、自動車メーカーが生産した自動車で(CO2を大量に排出しながらですが)通勤、通学ができ、遊びに行けるのです。つまり、現代社会に生きている限り、誰でも地球温暖化の犯人になってしまうのです。

誰が、どの企業が悪いのかではなく、誰もが、そしてどの企業も犯人であり、世の中と人間を破壊しているのです。しかし同時に誰もが、どんな企業も、世の中の役に立っているということです。これは生きることの「苦」以外の何物でもありません。こうした「苦」の連鎖、人間であることの苦界の輪廻から逃れるには、私たちが生きている現代の“近代システム”を変える必要があります。

<それでも電気自動車を普及させましょう>

上記のように近代システムのままでは、たとえ電気自動車にシフトしたところで、電気自動車もまた近代システムの中で作られ、走るのですから、そう簡単に地球温暖化・気候変動が止まるわけではありません。そうなのですが、電気自動車には不思議な力があるのです。

<気づかせてくれた電気自動車>

緒方さんの気づきには遠く及びませんが、私を再生可能エネルギーに気づかせてくれたのは、電気自動車です。また、カリフォルニア州の大気汚染の甚大さに気づいたのも、そしてカリフォルニア州がきっと電気自動車で世界を変えるに違いないと気づいたのも、’94年に電気フォーミュラカー電友1号を作り、米国のEVレースに参戦したからでした。電気自動車は、「再生可能エネルギーで充電するという環境意識」を育み、再生可能エネルギーは、さらに多くの環境問題に気づかせてくれるという、正の循環に私たちを連れて行ってくれるのです。

そして、今回のスペシャルメッセージを書かせてくれたのも電気自動車です。もちろん、内燃機関自動車から電気自動車への転換や火力発電から再生可能エネルギーへのシフトも必須です。

その場合、日本の基幹産業の崩壊も覚悟しなければなりません。大きな産業・社会革命が求められます。こうした改革なくして地球温暖化・気候変動は止まりません。江戸時代を支えた近世のシステムを壊さなければ、明治維新は成功しませんでした。

つまり文明の大転換が必要なのです。そして、忘れてならないのは、私たちの生活の仕方も大改革しなければならないということです。CO2を排出してきた企業の人たちは仕事を奪われると思います。しかし、彼らこそ救われるべき人たちです。緒方さんのいうように、私たちと同じ加害者であり、被害者なのですから。

改革に猶予はありません。できること(電気自動車の普及)からすぐに取りかからなければなりません。

<改革した日本EVフェスティバル>

そうしたことから、日本EVフェスティバルの会場を筑波サーキットからお台場の東京国際交流館に移し、日本EVクラブの会員の皆様だけではなく、多くの方が参加でき、最新の電気自動車に試乗できるようにしました。

それだけではなく、筑波サーキットではできなかったシンポジウムを開催しました。気候変動研究の権威である東京大学の木本昌秀先生に講演していただき、地球温暖化・気候変動について学び、意見交換を行い、私たちが今、行うべきことを論議しました。

また、何度も申し上げますが、上記の近代システムの改革には「市民パワー」が必要です。日本EVクラブ的にいえば、市民のみなさんの「手作りEV」こそがEVシフトの立役者なのです。そこで、東京国際交流館に手作りEVの展示スペースも作りました。

いつの日か、新型コロナの脅威が去り、健康な生活が戻ったあかつきには、日本EVフェスティバルでみなさんの手作りEVや最新のEVを心ゆくまで走らせましょう。

追伸
市民EV運動のひとつの結節点として、市民パワーを結集した「国民EV」を作りましょう。成長・拡大の代わりに“感謝”を!

参考・引用文献「チッソは私であった」緒方正人著

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