「始まりの1995から、未来をつくる2022へ」

奥田 龍 日本EVクラブ(会報誌編集長)

1995年(だったと思う)のちょっと寒い日、大磯ロングビーチの広い駐車場に、当時存在したありったけの電気自動車が集められた。USエレクトリカーのコンバートEVや東京R&D、ホンダの電気バイクなど数十台、メインはアメリカ帰りの電友1号だ。試乗会だったので、ほぼすべてのクルマに乗り終えた頃に、なんだか見慣れない乗り物が、とんでもないスピードで目の前をクルクル回っている。「世の中になかったんで、有志で作っちゃいました!」とベテランのエンジニアっぽい人(日産の遠藤氏)が目を輝かせながら私に「乗れ乗れ」と言う。あまりに衝撃的で面白すぎたので「これ私も作りたいのでなんとかなりませんかね?」。相談するとカートの中古シャシーさえあれば、モーター、バッテリー等の部品は集められるという。舘内さんに「隗より始めよ」とは言われなかったと思うが、EVカートレースをやりたくて呼びかけると最初に10人が賛同してくれて、その後クラブ員が何台も改良したEVカートを作ってレースに参戦した。今、思えば小さな水平分業、百万台クラブだったんだと思う。

寄本 好則 日本EVクラブ(ホームページ編集長)

1995年(だったと思う)のインターネット黎明期、楽天市場に先駆けて東京の名店ネット通販ショップを作成して集める『TOKYO FAVORITE SHOP』プロジェクトを立ち上げた。数店舗に声を掛けロゴまで作ったが、頓挫した。2004年、AKB48に先駆けて週刊SPA!で美女タレント発掘プロジェクト『どるばこ』を始めた。6年間の連載を重ねて壇蜜さんを発掘したが、連載は終了した。アイデアを持続可能なビジネスとして、大きく結実させるのは難しい。三木谷さんや秋元さん(あるいはその組織力)が備えていて、私には決定的に欠けている何かがある。「百万台EVプロジェクト」のアイデアには、社会を変える可能性さえあると思う。大きく結実させるには「トヨタと組めばいい」のかも知れないが、既存メーカーの既成概念は呪縛にもなる。たとえば、50万円以下で買えるコンパクトで楽しいモビリティ。ソニーやCCCとかが「一緒に遊んでくれないかな」と夢想している。

森 修一 日本EVクラブ(技術担当スタッフ)

1995年のことだった。JAF Mate誌に、EVランサー手作り教室のメンバー募集の記事を見つけた。環境問題に興味があり「水素エンジン」をやりたくて内燃機関研究室を選んだ私にとって、鉛電池を積んだ当時の「EV」は使い物にならない自動車であった。手作り教室では中古の三菱ランサーの床を切り取って、今では定番となったバッテリーの床下配置とした。ナンバーも取得した。鈴鹿のEVレースにも参加した。EVの可能性に気づくことができた。それから27年、本業の自動車整備専門学校で、部活の顧問をしながらEVを作りまくった。やはり鉛電池では、限界があった。近年、リチウムイオンバッテリーが入手できるようになると、急速にEVは実用に足るものとなった。作り続けると、EVは既存の自動車の代用ではないことに気づく。「新たな文化」が必要なのだ。「百万台EVプロジェクト」の目的は、自動車を作るだけではない。「どう使うか」まで提案しなければならない。

木野 龍逸 日本EVクラブ(撮影&IT担当スタッフ)

1995年のことだった。と言ってもEVのことではなく、大災害と大事件で年が明けたことを思い出した。1995年1月17日、明け方にテレビをつけたら神戸の町が燃えていた。脳みそがグルグルする中で2月初旬に東灘区に入って人生初の災害ボランティアをした。しばらくしたら地下鉄サリン事件が起きて、大災害と大事件で日本はいろいろ終わるのかと思ったけど、その後の社会に大きな変化は感じなかった。16年後の2011年3月11日には、今度こそ本当に社会が変わるかもしれないと思ったがまた元に戻りつつあり、この国が変わるのは難しいのだなあと心の底から感じた。だから車社会の大変革を見通す「百万台EVプロジェクト」が簡単なわけがない。それでも考えて考えて考え続けることが次の何かにつながるかもしれないし、そうなってほしいと、ウクライナの惨状を見ながら思っている。考えるのをやめたら、その時は本当に終わりがきそうだから。

田口 雅典 日本EVクラブ(Facebook「EV未来プロジェクト」管理人)

環境・エネルギー・DX・少子高齢・・・と課題山積のなか、自分を含め日本人って何?と思う。打たれ強いのか、アタマが切れるから見ないふりをしてるのか。人はよく目の前の雑事に追われ「緊急ではないが重要なこと」を後回しにしがちというけれど、そういうことなのか。自分も「このままじゃいけない」とばかりにEVに興味を持ってはや四半世紀(笑)。でも最近、「日々の雑事と大切なことがリンクしていればいい」と改めて思う。理想と行動のリンク。社会を劇的に変えるほどのインパクトはなくとも、より大きな社会的合理性と自らの理想に接点を見い出し、個々の毎日が「かなえたい理想」に向かっていく。「百万台EVプロジェクト」もその視点が重要。個人的には「60歳も近いから赤いチンクエチェントのEVがいいな」などと考えたり。いずれにしても楽しく理想を目指したい。コロナやロシアの狂気などに揺さぶられてもブレないくらいの「いつまでに、なんのためにこれをするのか」という共通の「パーパス(大義)」を掲げて。EVクラブの活動が本格化した1995年から今年で27年。これからも変化に柔軟に対応しつつ、理想は失わずに活動していきたい。

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