2001年充電の旅 CHALLENGE & CHARGE

スペシャルレポート

臨時スペシャルレポート3 ※長文御免
屋久島日記完結編
■TEXT:YORIMOTO YOSHINORI

■屋久島は高くて深い島だ。

 屋久島は切り立った島だ。周囲約100kmにすぎないこの島に、標高1935m、九州最高峰の宮之浦岳がある。われわれが宿泊した尾之間という町のすぐ背後には、モッチョム岳という切り立った岩山がそびえている。海底から標高2000mに近い高さまで一気にせり上がる大地の、ほんのわずかな切れ目のような平らな場所に人間が暮らしている。山には縄文杉をはじめ、樹齢数千年といわれる屋久杉の森。島の西側を走る西部林道では、深緑を塗り込めたような照葉樹の原生林が訪れる者を包み込む。

 屋久島の自然は深い。そして人の暮らしに近い。自然が雄壮で神々しいせいだろうか。屋久島に身を置くと、人間ってのは地球に「へばりついて」生きている存在なんだと思い知らされる。

■屋久島一周にスタート!

 5月26日。屋久島一周の顛末をご報告しておこう。

 EV-Aclassに乗り込んだのは、 私とこのホームページのシステム担当である片山慎太郎(筑波大学の大学院生)、そしてレギュラードライバーの古澤クンだ。

 古澤クンは薄井クンと一緒に縄文杉に行くはずだったが、前日の「作戦会議」で屋久島一周が「カンタンじゃない」ことにやっと気付いたボクらは、古澤クンがポッケにしのばせていた縄文杉へのウォーキングマップを奪って破り捨て「昼飯おごってあげるから」という甘い誘惑で「充電監査役」としてEV-Aclassの後部座席に押し込むことに成功したのだ。
 ちなみに、薄井クンはこの旅で神々しさを増したキリスト顔(ひげ面)をニコリともせず「ボクは縄文杉行きますよ」と宣言。朝6時に起きてレンタカーのスターレットのエンジン音を響かせながら泊まっていたペンションを出ていった。

 さて、屋久島一周。 距離は約110km。電池を1回使い切り再び満充電したとして走りきることが「あり得ないとはいえないな」って距離だ。EV-Aclassは、空っぽから満タンに充電するのに、100V電源だと10時間以上かかる。200V電源で約4時間。はたして、屋久島にそんな都合よく200V電源があるんだろうか。しかも、世界遺産に指定されている照葉樹(常緑広葉樹のこと)の原生林を抜ける西部林道はアップダウンの激しい道が30km以上にわたり、その間、人家はおろかコンセントさえもない。もちろん携帯電話だって通じないだろう。伴走するのは木野おぢさんだから、肝心なときに役に立たないということは想像に難くない。(あ、このクルマもガス欠だ、とかやってくれそうな気がする)

 朝7時過ぎ。木野おぢさんのクルマにガソリンがちゃんと入ってることを確認したボクらは、尾之間という集落にある屋久町役場(3日間、夜毎充電させていただきました)を出発。まずコンセントサポーターに登録してくれた「屋久島パイン」という不動産業者に立ち寄った。屋久島に移り住みたい人向けの物件を紹介してくれる業者だ。「今から、飼ってる烏骨鶏にエサをやるんですよ」と作業着姿で迎えてくれた三芝仁恵さんも屋久島に移り住んできた人だ。ここでは、ありがたく気持ちをいただいて100V電源で約15分充電。天気はいい。尾之間の背後にそびえるモッチョム岳がきれいに見えていた。

 次に、安房の「サンパウロ」というレストランへ。サンパウロは屋久島到着の日の夜、作戦会議を開いたレストランだ。この日の朝6時過ぎには、スターレットに乗った薄井クンが立ち寄って、縄文杉で食べるおにぎりを作ってもらった「おにぎりサポーター」でもある。サンパウロには200V電源がある。スタートからここまで約15キロ。電気はまだまだ残っているが、この先はたして200V電源と巡り会えるかどうかわからないので、たっぷり約1時間30分充電させていただいた。

 さて、屋久島で登録してくれたサポーターはこの2カ所だけだったので、あとは出会い頭の「お願い」だ。

 安房から屋久島空港まで走り、空港入口の道沿いにある屋久島観光協会に飛び込んだ。観光協会は、かねてからEVクラブと交友のあった屋久島在住の作家・星川淳さんが旅を心配してくださって「何かあったら観光協会を訪ねられるようにしておきました」と声をかけてくれていた。ご厚意には素直に甘えてしまおう。事務局長の渡辺義弘さんを訪ね、ご挨拶もそこそこに「200Vのコンセントはないですか?」相談してみた。旅人の問い合わせが多い観光協会でも、これはおそらく前代未聞の問い合わせだっただろうと思う。でも、事務局長の渡辺さんは嫌な顔ひとつせず電話をかけまくってくださって、宮ノ浦にある屋久島電工という会社の200V電源で充電させてもらえることになったのだった。屋久島電工は、屋久島で工場を操業するために作った水力発電所をもっていて、島全体に電力を供給している会社だ。雨が多い自然条件にも恵まれて、屋久島の電力は再生可能エネルギーである水力発電だけでまかなわれている。改めてそんなことを思い起こすと、この旅最南端の地が屋久島であることに深い意義を感じたりする。

 屋久島電工のEV用ガレージにEV-Aclassを入れ、200Vにつないで充電。宮ノ浦の食堂で、名物の「屋久島ラーメン」を古澤クンにおごってあげて、食事のあとはのんびりとHPの掲示板に書き込みしたりしながら約1時間30分充電。ここまでで屋久島一周のほぼ3分の1の行程を終えたことになる。5時間かけて約40キロ。ゆっくり走っているはずなのに、なんだかすごく忙しい。そして、想像以上に出会いが多くて深いことに驚いたのだった。

■いざ、西部林道へ!

 西部林道直前の永田ではガソリンスタンドに飛び込んだ。永田から先、西部林道を走りきるまでは充電できない。すでに午後2時を過ぎている。充電にかけられるのはせいぜい2時間。なんとしても200Vで目一杯充電しておきたかったのだ。

 さっそく、客だと思って迎えに出てくれたおじさんに充電のお願いをする。おじさんはすぐにお願いを理解してくれたし、スタンドには200V電源も引いてあったが「給油ポンプに直接引いてるから充電は無理」との返事。途方に暮れていると、通りかかったポンカン農家の渡辺善一さんが「うちの畑に選果機用の200Vがあるぞ」と声をかけてくれた。これ幸い。旅って出会いの繰り返し。日本にはまだまだ善意がいっぱい転がっているのだ。

 渡辺さんの軽トラックに先導されて、畑への急坂を上って作業場へ。作業場裏の家に独りで住んでいるという渡辺さんのお母さん(80うん歳)は、天気のいい昼下がりに突然押し掛けた電気自動車と見慣れぬ野郎どもに驚きながらも、人数分(ボク、慎太郎、古澤、木野おぢさん、カメラの三浦さん)のポカリスエットとお茶、黒砂糖、ラッキョ、漬け物、時季はずれでちょっとひからびたポンカン(でも、おいしかったっす)などでもてなしてくれた。充電しながらいろんな話をした。屋久島のポンカンの収穫は年末勝負。忙しい時期には「あんたらみたいな若い人がアルバイトで働きにくるんだよ」という。ボクらみたいな若者は、ここで働いてお金を貯めたら、そのままインドへ旅立ったりするらしい。うらやましい。

 ここから西部林道を抜け、尾之間までの約50km。ヤクサルとヤクシカが迎えてくれる険しい道を、EV-Aclassは無充電で走りきることに成功した。以前に一度、EVランサーで西部林道を走ったことのあるボクは「ぜったいにヤクサルやヤクシカに会えるから」と、屋久島童貞の慎太郎や古澤に断言していた。相手は野生動物。そんなに都合よく会えるものかと少し心配だったのだが、期待通り、林道をふさぐようにしてくつろぐサル&シカの群れに出会うことができた。

 冒険もクライマックス。西部林道を永田側から走ると、大川の滝の手前で急に道が広がり長い下り坂になる。この下りまでたどり着けば、回生ブレーキで次の集落までの電気は稼げるので、少なくとも「立ち往生」という最悪の事態はまぬがれるはずだ。宮之浦までの道で少し無茶なアクセルワークを試したりしながら体感した「省電費運転」のコツを駆使して林道脱出を目指す。サルの群れに会ったあたりから電圧が下がり気味。ちょっと不安になりかてたところで原生林が途切れて目の前に海が広がった。二車線の下り坂が見えたときには、年甲斐もなく窓からVサインを出してはしゃぎながらアクセルを踏み込んだ。下り坂で回生ブレーキをがんがん使い、電池もかなり元気を取り戻した。西部林道を走りながら、時々クルマを止めてビデオ撮影などをしたのも電池のためにはよかったのだろう。ともあれ、ゴールしたのは19時過ぎ。約12時間で屋久島一周を走破したのだった。

■充電拒否

 屋久町役場では町長さんまで役場玄関に立ってお迎えいただき、一周挑戦でもすばらしい出会いを重ねた屋久島で、まったく逆の出来事もあった。コンセントサポーター登録は順調に増え、旅の途中で飛び込んだ先でも「断られる」なんてことなく続けてきた充電を、屋久島で泊まったペンションで断られたのだ。電気代がいくらかかるのかわからない。町が積極的に導入してきたEVやエコステーションもうまくいってなくて、EVってものが信用できない。それがおもな理由だった。
  薄井クンがペンションの主人に充電のお願いをして、逆にくどくどと「島の電気代は日本一高いんだ」(どうやらそうでもないらしいのだが)といった文句を並べられているのを、ボクは少し離れたところで屋久島のガイドブックで「今夜の食事場所」を探しながら、知らないフリして聞いていた。なるほど、世の中にはいろんな人がいるものだ。

 EV-Aclassが正義で、充電させてくれないペンション主人は悪だなんてことは、毛ほども思っていない。当たり前だけど世の中にはいろんな考えがある。幸い、泊まったペンションは屋久町役場に近く、役場の200V電源は「島にいる間は自由に使っていい」と言ってもらっていたので、ペンションでの充電は辞退した。いや、決して充電させてもらえなかったことを恨んでなんていないんだけど、2日目の夜、ペンションで飲んだ生ビールが、ビールサーバーを長いこと掃除してないのか、なんだか変な味がしてまずかったことだけは恨んでいる。EVの是非はさておくとしても、夏の生ビールがおいしいというのは正義。まずい生ビールを客に飲ませるペンションは間違っている。

 また逆に、屋久島一周を終えて疲れをいやしにいった尾之間温泉では、うれしい出会いがあった。尾之間温泉はなかなか風情のある公衆浴場だ。みんなで湯船につかっていると、子連れのおじさんが「あんたらの着てたTシャツは何のチームだい?」と話しかけてきたのだ。ボクらはできあがったばかりの「CHARGE?」Tシャツを着ていた。おじさんに2001年充電の旅のことを説明すると、ああテレビで見たよ、がんばりな!と、快く応援してくれた。ペンションでの充電拒否が心に引っかかっていたボクらは、湯船の中で「屋久島の電気代」について話してみた。島のいたるところに、共産党が「屋久島の電気は日本一高い」という張り紙をしてあったのだ。でも、島で生まれ育ったというおじさんは、電気代が本州とそれほど違わないことを知った上で「もし、少しだけでも屋久島の電気代が高いんだとしたら、オレは日本一高い電気代を払っていることに誇りを持ちたいね」と言う。生活に必要な電力をクリーンな水力発電だけでまかない、完結している屋久島のエネルギー事情は、このおじさんのようにレベルの高い住民の意識に支えられているに違いない。

■旅の目的

 屋久島滞在は3日間。たった3日だ。それなのに、やたらに重くて分厚い出会いがいっぱいあった。4月8日に東京をスタートして以来、薄井&古澤コンビは、こんなにも「とてつもない旅」を続けてきたことに、ボクは改めて感服した。出会いや出来事を正確に伝えようとするほどに、旅日記なんて毎日書けるわけがない。ただ、出会いの度に生まれ、また煮詰められていく「共感」は、ふたりのドライバーのオーラのように積み重なっていくはずだ。半年にわたる旅は大変だと思うけど、ヤツらはほんとに幸せな旅をしていると思う。

 日曜日。大磯で開催されたEVクラブ総会とのインターネット二元中継討論で、舘内さんと話した日下田さん(屋久杉自然館館長・写真家)が、この旅の意義を「別々の日常を暮らす人々が、EV-Aclassの旅が運んでくれる誰もが共通して抱くべき価値観によって鎖のようにつながっていく。それがとても意義のあることだ」と話してくれた。まったくその通りだと思う。
 原子力発電所、ゴミ、クルマの排気ガス、そのほかにも、人として地球で暮らすために心掛けるべきモラル。自分に何ができるかを考え、少しでも行動に移していく。この旅に「反応」してくれているのは、きっとそうした「思い」を抱く人たちだ。生活の中で忘れがちだったり埋もれがちな「思い」を、この旅は掘り起こし、鎖のようにつないでいく。

 まったく、これはとてつもない旅だと思う。

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