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「私も走った、これはすごい」

日本EVクラブ代表
日本EVフェスティバル実行委員長兼競技長
舘内 端
 今回のEVフェスティバルは、20世紀最後のフェスティバルとなった。といっても、まだ6回目。ル・マン24時間耐久レースや、インディ500マイルレースの70数年にも及ぶ歴史に比べれば、よちよち歩きの幼児である。 しかし、20世紀から21世紀へ。自動車は明らかに電気化していく。自動車の電化時代?に先駆けて、20世紀のうちに6回ものEVフェスティバルが開催できたことは、きっと後世の歴史家に「先見の明があった」と評価されるに違いない。
 世紀の変曲点だからと理屈をつけて、今回は実行委員長兼競技長の私も、1時間耐久タイムトライアルに参加した。優勝チームが15周もする中でたった1周の走行で交替したが、改めて、このタイムトライアルの凄さと魅力と素晴らしさを堪能することができた。
 仕事がら、(財)日本自動車研究所の高速周回路の走行経験はかなりある。また、このコースで国産車が鍛えられ、多くの世界記録が樹立されたことも知っていた。しかし、自作のEVで他の手作りEVと競いながら走ってみると、実に楽しく、スリリングで、驚くことが多く、走り慣れたはずの高速周回路がまったく別のものに見えたのだった。
 ピットアウトして第1バンクに入り、サイドミラーを見ると、豆粒くらいの大きさで後続車が映った。しかし、それも一瞬のことで、次の瞬間にはバンクのはるか上方から一気に抜かれてしまったのであった。
 私の走行速度はおよそ70km/h。抜いたEVはその倍の140km/hは出ていただろう。またたくまに私の視界から消えていってしまった。しかも、抜かれる瞬間が異次元体験だった。というのも、まったく音もなく抜かれたからだ。
 レースカーは、あの大きな排気音が特徴である。長くサーキットを仕事場にしてきた私には、ヘルメットをかぶったらあの排気音が聞こえるものという条件反射ができ上がっている。無音で抜かれるみると、これほどEVに親しんで来た私でさえも、やはり驚かされたのである。
 無音というのは、正しくない。140km/hにもなれば風切り音がする。しかし、レースカーはそれを打ち消して余りあるほどの大きな排気音だから、抜かれるときに風切り音は聞こえない。だから、EVのレースであると、ゴーという風切り音と共に抜かれるものなのだということを、発見したことになる。さらに、つけ加えると、キーンというモーターの金属音も聞こえてきた。
 こんな音が自分の上方を走るクルマから聞こえるモータースポーツ。それが、日本EVフェスティバルの1時間耐久タイムトライアルだ。ただし、これは異次元体験のほんの一部に過ぎない。
 21世紀まで残された時間はわずかだ。だが、EVスポーツという、これからの世紀に似つかわしいモータースポーツをその前に用意できたことを誇りに思う。2001年は、さらに素晴らしいフェスティバルになるに違いないし、第16回日本EVフェスティバルは、つまり2010年のフェスティバルは、もうEVスポーツが普通のものになっているに違いない。


「雨にも風にも負けず」

日本EVクラブ副代表:
日本EVフェスティバル実行副委員長兼計測委員長:
御堀 直嗣
 みなさんは、今年のフェスティバルに、どのような思い出を残されたのでしょうか?。好天に恵まれた今年のフェスティバルも、強風という不測の事態をもたらし、日陰を作るテントを全て撤収する状況となりましたが、体調を崩される方が無かったのは本当に幸いでした。
 大慌ての状況で思い出すのは、2年前の台風です。第4回フェスティバルに台風4号が直撃という事態。これ以上の出来事は無かろうと思っていたら、風の恐ろしさを今年は知りました。
 ひとつ間違えば、大きな事故を起こし兼ねない事態を擦り抜けてこられたのは、参加したみなさんの気持ちがひとつにまとまるクラブイベントであったからではないかと思っています。しかも、年に一度、この日のために切磋琢磨してこられたみなさんのフェスティバルに賭ける思いが、全てのプログラムを無事に全うする道へと導いてくれたのでしょう。
 この快さを味わいたくて、また来年のフェスティバルが待ち遠しくなる。これからもずっと、日本EVフェスティバルがそうした思いを寄せられるものであって欲しいと願っています。