2001年充電の旅 CHALLENGE & CHARGE

スペシャルレポート

SPECIAL REPORT/金沢バッテリー交換
夏の盛りの苦闘編
■TEXT:RYUICHI KINO

「EV-Aclassお助け隊」と称して、HP編集部の木野おぢさんとプログラマ片山は金沢へ飛んだ。今回のスペシャルレポートは「金沢バッテリー交換 夏の盛りの苦闘編」だ。EV-Aclassから滲み出る男の汗を感じてほしいのである。

EV-Aclassのバッテリーは、ホーカーのオデッセイというものを使っている。で、金沢まで約5000kmを走破してきたバッテリーの現状を、ホーカーさんが研究用に調べるということになり(なにしろ、そんなに走ったバッテリーはあんまりないのだ)、その間、EV-Aclassが待っているわけにもいかないので、急遽、バッテリーを交換することになった。 そのための人足として任命されたのが、HPレポーター木野と、HP制作担当カタヤマシンタローである。我々はここに「EV-Aclassお助け隊」を結成したのだった(なわけないって)。

7月8日、日本EVクラブ舘内代表のクルマを借りに自宅を訪ねた私は、朝早くから代表とともに汗を流すことになった。なんと代表は、履きつぶすつもりで夏の今まで、2シーズン目のスタッドレスを履いたままだったのだ。そういえば去年の夏もスタッドレスだったような気がする。こんなタイヤで真夏の道を金沢まで走るのはEVクラブの名折れ、つうか、間違いなく自殺行為だ。
4本のタイヤ交換は40分程度で終了したが、なにしろ暑い。毎日毎日鉄板の上にいるような暑さで、イヤになってしまうのはタイヤキ君だけではないのだった。

タイヤ交換後、昼過ぎに日本EVクラブ事務局でHP制作担当の片山慎太郎と合流。昼飯のパンを食ったお助け隊は、まずは鍵和田親方の待つラムパート(東名高速大井松田インター近く)へ。親方からガレージジャッキとウマ、そしてバッテリー交換用パンタジャッキを借り受けるためだ。 EV-Aclassは全部でバッテリーを26個積んでいる。このうち16個を、8個づつのケースに入れて床下に収めている。バッテリー交換の時は、EV-Aclassを50cmくらい持ち上げて、下からパンタジャッキでバッテリーケースを支え、ネジをはずしてケースを下ろすのだ。そのための道具一式である。

親方の元を出た我々お助け隊は、シンタローの運転で西を目指す。道はそんなに混んでない。しかし、前夜からの徹夜とタイヤ交換でヘロヘロになったリポーター木野はすでにグロッキー。走り出したとたんに睡魔に襲われ意識不明。気がついたのは浜松過ぎで、その後もときおり意識がなくなった。名神に入り養老インターでドラチェンをした我々は、北陸道から北を目指す。そして苦闘7時間。ようやくたどり着いた我々を待っていたのは、なんと京都から来ていた“EV-Aclass勝手連"氏と、大阪から来ていた池上氏。それほどまでに我々に会いたかったのねと勝手に思いこみ、軽く食事に出かけて、この日は終わった。

7月9日。いよいよEV-Aclassのバッテリー交換だ。午前10時に目的地のアクソンデータマシンに到着。ホーカーのバッテリーのメンテナンス等を手がけている会社だ。さっそく担当の木越専務が出迎えてくれる。そして東京から、デンセイ・ラムダのホーカーバッテリー事業部・吉岡技術部長と、プロジェクションの丹羽さんもEV-Aclassを心配して駆けつけてくれていた。


ということで、軽く試乗会をした後に作業開始。まずはジャッキアップしてウマに乗せる。次にクルマの下にもぐりこみ、バッテリーケースをはずす。同時に、荷室下に入っている10個のバッテリーの配線をどんどんはずしていく。ひさしぶりに見たバッテリーはさすがにホコリまみれで、長旅の様子を物語っているようだった。そのバッテリーを拭きながら配線をはずし、新しいセットを組み込んでいく。 ここまで使ってきたバッテリーは、見た目にも異常はなく、まだまだ行けそうな雰囲気でひとまずは安心。なにはともあれ、ここまでご苦労様でした。


バッテリーケースを下ろして荷室もカラにしたEV-Aclassはなんとなく身軽そう。床下をのぞくと、Aclass独特の設計がよくわかる。メインフレームが左右に通っていて、その間を梯子上のフレームがつないでいる。で、床下は真っ平らだ。このAclassは、サンドイッチ構造と呼ばれる新しい設計を採用していることで知られている。サンドイッチ構造採用は、床下を二重にして強度を保ち、安全性を向上させたというのが、一応の理由。それと同時に、燃料電池のシステムを床下に置くことができるため21世紀の車体構造という見方もできる。実際、ダイムラークライスラーはnecar3〜5の3車種で床下に燃料電池を積んでいる。また、完全なトレーリングアームになっているリアの足回りは、今時「そんなのアリ?」っていうようなもの。どうも無理矢理やったようにしか見えない。これも燃料電池搭載のためと考えれば、納得がいく。 そして床下にバッテリーを積んでいると重心がとても低くなり、一時期話題になったEV-Aclassの転倒騒ぎのようなことは起きなかったのではないかという推測も、できるのである。

午後、ケースに詰め込んだ新しいバッテリーのセットを組み込み配線をチェックしていく。最後のチェックはもちろん、ドライバーの二人である。ここで手を抜いてしまうと取り返しのつかないことになるので、慎重のうえに念入りである。そしてバッテリーを再びクルマに積み込み、いよいよ再始動。この瞬間がいちばん、緊張する。ボンッてなったらどうしよう。またみんなに文句いわれるなあ。などという心配は無用だった。カチッという乾いたリレーの音が響き、EV-Aclassは無事に動き出した。アクソンの従業員の方たちを乗せて、周辺を走り出した。「EV-Aclassお助け隊」も一安心なのだった。

そんなこんなでバッテリーを交換したEV-Aclassは、今も無事に走り続けている。もっとも、スペシャルな足回りが遠因となってブレーキトラブルがあったようだが、それもなんとか切り抜けた。今頃は北海道の空の下。がんばれ、EV-Aclass。困ったときは「EV-Aclassお助け隊」がついてるぞ(いつもじゃないけど)。

でも、日本中のコンセントサポーターの方々が、実は覆面お助け隊なのではないかと思う。だって今までに、何回、助けられたことか。「EV-Aclassお助け隊」なぞ、足下にも及ばないのである。ということで、がんばれお助けコンセントサポーター! 今後ともよろしくお願いいたします。

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