中沢新一著 「野生の科学」から②

実は、前回の「自動車批評の原点 その2」は2012年10月29日に書いたものである。そして、前々回の「自動車批評の原点 その1」は、その前日の2012年10月28日に書いたものである。そして、日本EVクラブのホームページに上げるのをすっかり忘れていたのだった。すみませんでした。

それから7カ月弱、なぜブログを休載したのかというと、日本EVクラブの活動が忙しかったということもある。マイクロEVのジャメ・コンタント・オマージュII の量産を抱えて、東奔西走していたのだった。

しかし、文章なんてものは忙しいから書けないのではない。忙しい時こそアドレナリンが放出されてすらすらと書けるものだ。やはり書く気が失せていたということだろう。

しかし、ブログを書かずとも日々、何事もなかったかのように過ぎゆくのはまずい。かつては、寝るのも惜しんで、書きたくて、書きたくてしかたがなかったのに …. である。これが歳をとるということだろうか。それもあるだろうが、自動車をめぐる状況が私に書く気を失わせていたことも多いにあると思っている。

かつてはといったが、書くことが山のようにあって、書くスピードが書きたい欲望に負けていたような状態は20年も前のことだ。

たとえば「クルマ運転秘術―ドライビングと身体・感覚・宇宙」(勁草書房)の出版は1992年のことであった。その拙著は、1日にたった2行しか書けない日々の連続という難行苦行の上の上梓だったのだが、それに耐えられるモチベーションがあった。

そのモチベーションというのは、「書かなければならない」という義務感であった。その義務感はどこから来たのかというと、天命に近いものだった。

考えてみれば、この拙著の執筆はバブル経済の真っ盛りの頃のことであった。それほど長くない自動車人生ではあるが、この私にとってこの時期は自動車が最高に輝いていた時期でもあった。

たとえば日本自動車界のビンテージと呼ばれている89年には、スカイランGTRを初めとして、ホンダNSX、トヨタ・セルシオ、マツダ・ロードスターといった名車になった新型車があいついで登場した。

そうした機運と新型車たちは、「自動車とは何か」、「運転とは何か」といった哲学的命題を私に考えさせてくれた。また、このような小難しい自動車哲学書が5000部も売れて、しかも増刷もされたのであった。いまでは到底考えられない出来事だった。まさに自動車が時代を形成していたのであった。

しかし、その一方で87年に「2001年クルマ社会は崩壊する」(講談社、三推社)を上梓し、21世紀には環境・エネルギー問題が深刻になり、自動車は立ち行かなくなるだろうと警告を発していた。

この拙著を受けて、自動車における環境問題は、自動車から身体性が失われることによって引き起こされるのだとそんな思いで書いたのが、上記の「クルマ運転秘術 身体・感覚・宇宙」であった。

さらに99年には「すべての自動車人へ」(双葉社)で、マーケットから20世紀的「自・動・車」なる概念が喪失するであろうことを警告した。

この警告は、不思議な形で的中しつつある。日本における軽自動車の異常な増殖と、ボディ形態におけるミニバン化の進展である。この2つの事象は、自動車の機能化の極致であるといってよい。

一方、20世紀の自動車は、夢であり、象徴であり、力であった。20世紀における自動車は、時代の王だったのである。機能化とは、(王に対していえば)奴隷化、日常化である。つまり自動車はつまらなくなったのだ。

日本では自動車が売れなくなることも警告した。もし売れても安くて便利な自動車である。つまり自動車は安くて便利であれば、あとはどうでもよいものに成り下がったのだ。これを世間では「自動車離れ」という。

自動車の販売不振と、利益率の減少は日本の自動車産業を直撃した。それに拍車をかけるように円高が続いた結果、輸出にも頼れず、国内の自動車産業は疲弊していった。

その結果、拡張主義の上に立つ日本の自動車産業は、海外生産に活路を見出さざるを得なくなった。これはただちに自動車産業における雇用の喪失を招いた。

しかし、日本における雇用の減退という代償をもって日本の自動車メーカーは、いずれも決算を対前年比プラスに転じさせた。しかも、未曽有の売り上げである。

そして、もうひとつの警告は、自動車は環境・エネルギー問題に逢着し、大改革が求められるというものだった。これはその通りになっている。この改革に失敗すれば、そのメーカーの明日はない。そんなメーカーが散見されるのが怖い。

確かに自動車をめぐる状況は、警告のとおりである。では、このような自動車状況は私に何をもたらせたのだろうか。

20世紀的自・動・車こそ、私を夢中にしたものだった。これが終わりつつある。見回せば軽自動車とミニバンだらけだ。国産車は、私から自動車の楽しみを奪った。ただし、ヨーロツパ車は生き生きしていることはお断りしておこう。

では、21世紀的自動車はどうか。残念ながらまだ模索中である。各自動車メーカーともに新機軸を出せないでいる。

その間に、乗車フィーリングが最悪のエコカーが市場を席巻した。ハイブリッドに、希薄燃焼に、CVTにと、いずれも乗ると二度と乗りたくなくなる自動車ばかりである。

自動車は人間という生身の身体が乗り、楽しむものである。身体を無視し、貶めた上記のエコカーは、身体で評価されるものから価格と大きさという味もそっけもない合理性だけで計られるものへと堕落した。二度と乗りたくなくなる自動車が生き延びられるはずがない。

21世紀に求められる自動車を20世紀的アプローチで、しかも20世紀の技術で作るものだから、最悪のものにしかならない。それでも自動車に興味を持てというのだろうか。そんなことをいうヤツは、地獄に落ちたらいい。

しかし、地獄に落ちたのは私だった。

こうした最悪の自動車たちに囲まれた私は、当然のこととして自動車を批評する意欲を失っていった。自動車が書けないという地獄に落とされたのだ。

試乗会に行けば腹が立ち、事務所に戻れば落ち込む日々が続く中で、私は自動車批評の目的も方向性も、その価値も失っていった。

リボーンと叫んでピンクの自動車がTV画面の中を走り回っている。リボーンしたいのは、もう20年以上もリボーンを願っている私の方だ。

21世紀初頭に自動車は道に迷い、混迷していくことを予知した私は、私自身をリボーンすべく東京の日本橋からスズカサーキットまでの470キロを歩くことを決意し、92年10月に決行した。

そうして発見したのが、元気になった私の身体とEVであった。身体をめぐるEVの旅の始まりである。しかし、これとても決して呑気で気楽な旅ではなかった。いや、死に物狂いの旅を続けているといった方がいい。

それというのも、私の死に物狂いの旅にもかかわらず、自動車を巡る状況は上記のように混迷したままであり、したがって私の自動車批評も行き場を失ったままなのだ。

しかし、そうもいっていられない。そこで書けるように書くことにした。書ける文体で、書けることを、読んでいただける人たちに向けて書くことにしようと。

その結果、再び自動車批評の原点に立つことにした。

自動車の原点とは、身体である。これは日本橋からスズカサーキットまでの旅と、その後のEVの旅が私に教えてくれたことだ。身体性を失ったとき、自動車は自動車でなくなる。全自動運転車が自動車とは呼ばれないように。

さて、次回からは本当に中沢新一氏の「野生の科学」を紐解こうと思う。よろしくお付き合いください。

MICHI