私たちは、電気自動車が少しばかり大量に登場する前には、自動車は“自動車”以外の何物でもないと考えてきた。まさか自動車でご飯を炊こうなどと、よこしまなことを考える不逞の輩はいなかった。しかし、電気自動車の登場はこのような自動車の捉え方は単眼的であることを教えている。

もっとも、その“自動車”もさまざまな顔を持っていて、捕まえようとしても一筋縄ではいかない。いわく「自動車は夢である」、いわく「自動車は憧れである」、いわく「自動車はリビングである」、いわく「自動車は希望である」などなどである。しかし、最近の国産車は、単眼的になってきた。いわく「自動車は移動するだけの機関である」と。

そして、新たに登場した顔が、「自動車はご飯を炊く電源である」というものだと、そうした解釈もできる。しかし、自動車のこの新しい顔は、これまでのさまざまな顔に比べると、異質である。

これまでの自動車の顔は、要約すればすべて「個人にとっての顔」であった。私にとって自動車とは何者かという答えであった。

だが、電源=電気エネルギー源という顔は、ソーシャルな顔だ。自動車は、正確にいうと自家用乗用車は、初めて社会的な顔を持ったのである。しかも、これまでの公害の元というネガティブな顔ではなくて、ポジティブな顔だ。これは自動車の革命といってよい。

しかし、この自動車のソーシャルな顔はおもしろくはない。少なくともいわゆる自動車好きにとっては、おそらくどうでもよい顔に違いない。

ところで、4月23日に、「ホンダスマートホームシステム実証実験ハウス」の取材に行ってくる。くわしくは改めてご報告するが、これは「ガスエンジンコジェネレーションとソーラー発電、電動化モビリティ(電気自動車など)を組み合わせて、家庭から排出されるCO2を低減させる」という実証実験である。 おそらく自動車雑誌系の取材は皆無だろう。たとえ記者がいたとしても記事化はないだろう。

それをとやかくいうつもりではない。実証実験の記事が自動車雑誌の性格を逸脱したものだといいたいのである。自動車雑誌とは、自動車と個人の関係、それもとても濃い関係を記事化する雑誌である。自動車と個人の恋愛、ハニームーン=蜜月を延々と記事にするのだ。そこに電気自動車はソーシャルな顔をして鎮座ましますのである。つまらないと思われて当然であり、取り上げられなくて当然である。

ただし、電気自動車にも個人との関係を取り結ぶ回路は開かれている。開かれているのだが、これが薄くて、これまでの関係とは異質なのだ。

今流にいえば、それは私には“クール”な関係だと思えるのだが、電気自動車の魅力を了解し、それを楽しむには自分を変えなければならない。自己変革が必要だ。なんたって電気自動車でご飯を炊いたりして遊ぶのだから.....。

電気自動車との関係は薄いといったが、しかし私が20年近くも電気自動車に夢中になってきたことを考えると、電気自動車は爆音も排ガスもなく、ブリブリと車体が揺れたりはしないが、人を夢中にさせる力を持っていると思うのである。

私の周りには、次から次へと電気自動車病に罹患する人たちが輩出している。その善悪は別にして、20年に渡って、私は電気自動車病の患者を生んできたと思っている。そのへんの話、つまり電気自動車病の種類や罹患の様子やらについては、機会を改め述べようと思う。それを読むのもまた電気自動車の楽しみの一つだ。

ということで、電気自動車でご飯を炊く話は、ひとまず終わりにしよう。

次はトヨタのハイブリッド車の旗艦の1台であるレクサス450hの試乗記でもお届けしよう。

文:舘内端